カレーを食べよう、その1

2020/10/03

チーズフォンデュクラブストーリー

ラジャさんちのカレーの話の続きです。



冬一郎は鍋の蓋を取り、驚きの声を上げた。

「へえええ!水を一滴も入れなかったのに、ちゃんとカレーになっていますね!」

 「その通り。チキンや野菜からたっぷりスープが出ますから、水を加える必要などないのですよ」

ラジャが答えた。

2人はすでに数時間、台所に立っていた。その時間のほとんどは、ラジャによるスパイスの講義に費やされた。彼によれば、インド料理のスパイスの使い方は3通りある。最初に入れるもの、途中で入れるもの、仕上げに入れるもの、である。これがそのスパイスの香りを最も効果的に引き出すコツなのだそうだ。
最初に入れるスパイスはスタータースパイスと呼ばれ、主にホールの形状で使う。常温の油に入れて、ゆっくり加熱し、油に香りを移してゆく。スパイスごとに色々なタイミングや扱い方があり、例えばクミンシードは、ぷちぷちと周りの油に細かい気泡がついたら、次の材料を入れるタイミングである。
じっくり炒めた大量の玉ねぎの上にチキンを投入したら、途中で入れるスパイス群を混ぜていく。日本式のカレーなら、大量の水を使って煮込む所であるが、ラジャは水など全く加えず、ただ蓋をしただけであった。
しかししばらくして蓋を取れば、どこからか魔法のように水分が湧き上がって、実に美味しそうなカレーになっていた。

「さあ、これで出来上がりです。ご婦人方がお待ちかねですから、二階に持って上がりましょうか。二階は和室なのですよ。タタミは素晴らしいですね、子供を寝かせたり遊ばせたりするのに最適だ。--おっと、ちょっとお待ちを」

ラジャは小さな鏡を取り出すと、すっと全身をチェックし、服をパタパタを手で払って、身だしなみを整えた。冬一郎のいぶかしげな視線に気づくと、彼は余裕の微笑みを見せ、

「レディーたちの前に出るのですから、失礼があってはなりませんからね」と言った。彼のような人を、ジェントルマンというんだろうか…、と冬一郎は思った。もし自分がやったら滑稽そのものであろうと思うが、この人がやると、全然嫌味でないのだから、不思議だ。
カレーをどうやって運ぼうか2人で思案し始めたその時、階段を下りてくる足音がして、誰かがひょいと台所をのぞき込んだ。

「うわー、いい匂いね!…って、あんた、冬一郎じゃないの!」

「ナタリアさん」
冬一郎は驚いた。自分以外に客が来ているとは知らなかったのだ。だがそういえば、さっきからラジャは、二階のレディーたち、と複数形で話していたーー奥さんと、ナタリアさんの事だったのか。

ナタリアは、褐色の肌に細かいカールの髪の、スタイルの良いメキシコ系アメリカ人女性である。先日初めて会った時も体にフィットする服を着ていたが、今日もまた元気な黄色のタンクトップにとても短いスパッツという出で立ちだった。彼女は両腕を広げて小躍りするようにやってくると、冬一郎を思いっきりハグして、

「いつ来たのよー!?」と叫んだ。「全然わからなかったわ!さーっすがニンジャ、これが”気合い”ってやつなのね?」

いや…そうじゃなくて、ラジャさんちはドアにセンサーが設置されてるから、呼び鈴が鳴らないだけですよ…。冬一郎は説明したかったが、それより、知り合ってまだ二度目の、露出度高めの格好のグラマラスな女性に正面から胸を押しつけられ、ついでに、頬の所にチュッとキスされた状況を飲み込む方で必死であった。彼女、どんな相手にでもこんな風なんだろうか?それとも僕がゲイと知ってるから、自分に性的な興味はないと安心しているのかな?

「ナタリアさん、私の息子はどうしていますか?」ラジャが聞くと、ナタリアは冬一郎をあっさり離して、ラジャにウインクをした。

「良い子でお昼寝にはいったところよ!おっぱいをたくさん飲んで眠くなったのね!」

「おお。それならば、妻にも下に来てもらって、ダイニングルームで食事をしましょうか」

じゃあ呼んでくるわね、と言うナタリアを、ラジャはサッと手で制した。

「お待ちください。どうか妻には、カラテニンジャがいらしていることはまだ、くれぐれも言わないでくださいね」

分かったわ、とナタリアは笑って二階に上がっていった。あのう、と冬一郎が口を開きかける前に、ラジャはこちらを振り向き、急に真剣な様子でしいいっと口に手を当てた。

「さあ早く、カラテニンジャ!隠れて、隠れて。私の妻はとんでもなく臆病なのですよ。あなたが来ているなんて知ったら、恥ずかしがって絶対に出てきやしませんよ。さ、早く、早く」

 

☆補足。後日、ハグ&キスが、メキシコの女性が友達にするスタンダードな挨拶だと知りました。ベソ(スペイン語でキス)と言うそうです。あはは…勘違いして恥ずかしい。

 

おまけ

メキシコのベソのやり方(標準)

相手の肩に軽く手をやり、相手の右の頬に自分の右の頬をくっつける。

仲がいい友達の時:思いっきりハグしながらベソをする。

ただし

男同士の時はベソではなく握手をする。

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