数日前のことである。冬一郎は、2人の新しい友人と出会った。
1人は、児童館で先生に紹介してもらったナタリアさんという元気な女性。もう1人は、少しミステリアスな雰囲気を持つ男性で、ラジャと名乗った。両人ともにアメリカ人である。
駅前のスターバックスで、出会ったばかりの2人と、冬一郎はお茶を飲んだ。実はベンとミカエルも少しの間いたのだが、ベンが眠いと言い出してすぐに帰ってしまったのだ。
「お名前は、冬一郎君、でしたか」
急に自分に会話の矛先が向いて、冬一郎はぎくりとした。冬一郎は、初対面の人間と会話するのは得意ではない。英語を使わねばならないとなると、尚更、萎縮してしまう。相手の目を見るのも恥ずかしくて、なんとなく下を向いてしまうくらいだ。ラジャはそんな冬一郎を観察するようにじっくり眺めた後、ふと微笑んだ。
「そう怖がらないでください。ベン君は誤解していたようですが、私はただ、君にお礼がしたいだけですよ。可愛い妻と子供を、卑しい酔っ払いどもの手から救っていただいたのですからね。とても感謝しているのです」
「いや、お礼なんて結構です…」冬一郎は遠慮してすぐさま断った。「僕は、本当に、大したことはしてませんから」
「まあ、そう言わずに!何か私が、君の役に立てる事はありませんか?」
「あー、じゃあ、料理教えてもらえば?」
言ったのはナタリアだった。
「あんたさ、アメリカ料理知りたいんでしょ?」
「え?ええーーあれ、なんで、知ってるんですか?」
冬一郎が驚いて顔を上げると、ナタリアはくすくすおかしそうに笑った。
「だって、さっきベンが思いっきり嘆いてたじゃない。『アメリカ料理をマスターするんだ』とか自分で宣言したくせに、冬一郎は話をぜんっぜん聞いてくれなくて、だから未だに基本のきすら分かってない、って」
う…ベンのやつ、そんなこと、言ってたか?僕のことをいろいろ愚痴ってるなあ、とは思ったけれど、ネイティブスピーカーの会話についてくのに脳味噌が疲れて、ぼんやりとしか聞いていなかったからな。それにしても、ひどいことを言うなあ。
「ほほう、面白い。それは面白い」ラジャが顔を少し輝かせて答えた。
「君は料理をするんですか、冬一郎君!」
「はい。料理は、大好きです」
「素晴らしい。日本の男性はあまり料理をしないと聞いていましたからね。ところで、君がベン君の話を聞かない、というのは、これはなぜなのですか?」
「聞かないわけじゃ、ないです」冬一郎はとっさに弁解した。
「僕はただーー彼の料理の、バターやチーズの量が気になるだけです。ベンは、アメリカ料理の基本というのは、『カロリーを気にしないこと』だっていうんですけど、僕にはそんなことできません。アメリカ料理は作りたいけれど、家族の健康を考えて、ちゃんと体に良いものを作りたいんです」
ふむ、とラジャは、あごをさすった。
「なるほど。わかりましたーーそれでは君に、この私が、特別スペシャルで健康的な料理を教えて差し上げましょう」
「えっ」
冬一郎はまたも驚いた。スペシャルで健康的な料理?そんなものが、アメリカにあるのだろうか。
俄然興味が湧いてきた冬一郎の様子をみて、ラジャはふふふと満足げに微笑んだ。
「乗り気になってくれたようですね!実は私も、料理には少々こだわりがあるのですよ。どうです、先日のお礼がわりに、レシピを分けて差し上げますから、私の家においでなさいーーそうだな、申し訳ないが仕事が立て込んでいるので、来週の土曜日ということで、どうです?」
冬一郎は、喜んで承諾した。
それなのに、ついその予定を忘れて、同じ日にベンとデートする約束をしてしまったのである。