ラジャの宅というのは、電車で一駅降ったところにあった。
いつもロンを抱っこやベビーカーで連れて行動するのに慣れてしまって、休日なのに1人で電車に乗ると、妙に体が軽いと言うか、スカスカした感じが冬一郎にはした。
教えてもらった住所に着くと、こじんまりした洒落た一軒家である。呼び鈴は鳴らさず、玄関前で電話をかける。赤ちゃんが昼寝中である場合を考え、子供の(というか、親の)貴重な休憩時間を妨げないように、と配慮したのであるが、今回その必要はなかったようだーー冬一郎がスマホをまだ取り出さないうちに扉がバン!と勢いよく開き、エプロン姿のラジャが出迎えたのだ。
「ようこそ、カラテニンジャ!待っていましたよ」
「こ、こんにちは」
冬一郎は面食らってどもった。「えっと…お待たせ、しました?」
「ははは、驚かせてしまったようですね」ラジャは快活に笑った。
「なぜ来るタイミングがわかったか、疑問ですか?なにね。息子の昼寝中に宅急便や不要な来客が呼び鈴を鳴らすのを、妻がとても嫌がりましてね。そこでベルは外してしまい、代わりにセンサーを設置して、人が来ると室内にあるモニターがピカピカ光るようにしたのですよ。妻は大変喜んでくれましたよ」
すごい愛妻家だなあ…と感心する冬一郎を、次なるサプライズが襲った。
一歩室内に入ると、頭をぶん殴るかのような、強烈な匂いが押し寄せてきたのである。ついぞ嗅いだことのないような空気に、冬一郎はむせかえった。
「ラジャさん、この匂いはーー」
「おや、気が付きましたか」
ラジャはニヤリとした。気がつくも何も、これを感じないようでは、鼻がどうかしているに違いない。まるでどこか、遠い異国の市場の路地裏にでも迷い込んだか、というような、ごったな香辛料の香り。
「私はインド系の2世でしてね」
廊下を進みながらラジャが言った。
「両親共にインドから来たとはいえ、私自身は生まれも育ちもアメリカですから、インドのことは、実はほとんど知りません。現地へは、最近初めて一度行ったのですが、それのみです。若い頃は仲間とピザばかり食べて、インド料理など、ついぞ興味がなかったのですがーーしかし、今さらながら、亡き母が作ってくれたあの味に勝るものはない、と気が付きましてねえ」
「カレー、ですね」
冬一郎が言うと、ラジャは満足そうにうなずいた。
「そう、カレー!カレーですよ!カレーは最高に健康的で美味しい料理です!」