幸い、ロンは保育園で楽しく過ごしていたようだった。
「とってもいい子で、たくさん遊んでいましたよ」と、保育士もにこにこ笑って報告してくれた。
が、そうは言っても、慣れない所に長時間預けられて、やはり不安であったのだろう。
家に帰るとロンはいつも以上に冬一郎にべったりはりつき、抱っこから一瞬おろすことすら許さず、ベンやミカエルがいくら頑張ってなだめたり引き剥がそうとしたりしても、大泣きして暴れて、結局、小一時間後に、冬一郎の首にしがみついたまま眠りに落ちたのだった。
「やれやれ…。大変だったな」
ロンと格闘して疲れた様子のミカエルが言った。
「夕飯は俺が作ってやるから、せめてそれまでは横になって休んでろ、冬一郎」
「迷惑かけてすみません、ミカさん」
申し訳なくて頭を下げると、ミカエルは不思議そうに眉をひそめた。
「なぜ謝る?そもそも最初から飯には誘うつもりだったんだぜ。ミートボールだが食えそうか?」
「ミートボール?やった、僕、ミカさんのミートボール、大好きです」
やはりミカさんは優しいな、と冬一郎は思い、喜んだ。
ミートボールはミカエルの作るスウェーデン料理の中でも最高に美味しいメニューの一つである。日本で一般的な、ケチャップ味の丸いミートボールとは違い、一口大のハンバーグのようなもので、柔らかくジューシーな上、クリーミーなグレービーソースがかかっていて、何個でも食べられてしまう。
ミカエルが材料を取りに彼のマンションへと戻ると、長かった1日のうちで初めて、静かな一瞬が冬一郎に訪れた。
冬一郎はリビングのソファに一人、身を沈めながら、改めて、とても腹が空いていることに気が付いた。
あとでミカエルを急かしてしまっても悪いから、とりあえず何か、口に入れないとならないなーーああ、そうだ…。
冬一郎はゆずにもらった紙袋を探した。
お腹に優しいおやつだ、と彼女が話していたタッパーを開けると、べちゃべちゃとした、すり下ろしにんじんらしきものが入っていた。キーリン君の離乳食のおすそ分けかな?と思ったが、しかし、意外にも華やかな香辛料の匂いがついている。カルダモンである。カルダモンはミカエルもよく使うスパイスで、冬一郎にとっては、彼の匂いそのものだ。俄然うきうきして、さっそく食べようと、ロンのベビースプーンを見つけて拾い、シャツの裾で拭った(汚い話だが、近頃はロンの食器やおもちゃが部屋中に転がっていることがほぼ当たり前の光景になっている)。
ひと匙すくうや、口いっぱいに、濃厚なミルクのコクとにんじんの風味が広がった。
なんだこれーーびっくりするくらい甘いけど、めちゃくちゃ美味しい!
気づくと冬一郎はタッパーを抱えて全部平らげていた。さすがに最後は口の中が甘ったるくなって、何か飲みたくなった。
そこで今度は、やはり紙袋に入っていた魔法瓶の水筒を開け、中身をロンの両手マグに移してみた。
きれいなミルクティー色、そして、ここでも、カルダモンの香りが紅茶の香りの中にはっきり漂っていた。嬉しい。一口飲むと、これまた、びっくりするほど、甘い。しかし生クリームでも入っているのだろうかというほどリッチなミルクの味わいで、その深い芳香と温かさに、冬一郎は体が芯からほぐれていくような安らぎを感じたのだった。
ソファに背を預けて、ゆずのミルクティーを心から楽しんでいると、ベンがキッチンの方からやってきた。
「あれ…ミカちゃんは?」