「あれ…。ミカちゃんは?」
「ミートボールの材料を取りに帰ったよ。もうすぐ、戻って来るんじゃないかな」
冬一郎が答えると、ベンはうん、とだけうなずいて、隣に腰かけ、持っていた皿をローテーブルに置いた。急にカルダモンをかき消したこんがりした匂いに見やれば、分厚いホットサンドが3つ、でん、とのっている。
「食べるかい」
ベンは目を合わそうとしないまま、ややぶっきらぼうに聞き、皿を冬一郎のほうに押しやった。
「お腹すいて、ふらふらなんだろ」
冬一郎は食べ物を見つめた。グリルド・チーズ・サンドイッチ。食パンでチーズを挟んでフライパンで焼くだけの実に簡単な料理だ。ただしアメリカ人のベンが作るそれは、冬一郎がつくるそれの、何倍も美味しい。単にチーズが3倍以上入っているからなのか、それとも他に秘密があるのかは、冬一郎は知らない。分かっているのは、とりあえずこの大量のチーズは、今は胃にもたれそうだ、ということだけである。しかし…。冬一郎はベンの方を盗み見た。ベンは不機嫌にそっぽをにらんだまま、ホットサンドを一つ取って自分でもぐもぐ食べている。余分なもうひときれは、きっとミカエルの分なのだろう。
「ベン。怒ってる、よな」冬一郎は聞いた。
「その…。ごめん」
「やっと2人きりだね」ベンは冬一郎を遮るように言った。
「ミカちゃんが戻ってくるまで、あとせいぜい5分くらいかな。一日ずっと君を待って、心配して、やっと、5分だけさ。そういや、俺も昼飯を食べ損ねたよ。フラフラだ」
…ごめん。冬一郎はもう一度呟き、ホットサンドを少しかじった。溶けたチーズの油がジュワッと口に広がる。心なし、いつもよりしょっぱい気がした。
2人は沈黙した。
コチ、コチ。静かな時計の音を聞きながら、冬一郎は1秒ごとにだんだん増していく、焦りのようなものを感じた。
ーーベンの言う通り、ミカエルはすぐにでも戻ってくるだろう。自分が何度も約束を破った結果の、たった5分の、短いデート時間だ。
ここで、ごめんと黙ってサンドイッチを食べているだけでは、ベンとの今後の関係に、何か決定的なダメージを与えてしまいそうで、冬一郎は怖くなった。まずい。このままではまずい。何かベンに言わなければ。本当は大事に思っている、と伝えなければ。だが焦れば焦るほど、気持ちが重くなって、言葉が出てこない。冬一郎はしょっぱい口をすすごうと、ミルクティーをたくさん口に含んだ。ああ、甘いなあ…。
ーーそういえば、ゆずさんとラジャさんは、本当におあつかったなあ。
彼女のミルクティーの味に、冬一郎はふと、ゆずとラジャのことを思った。あの2人はきっと、今の僕とベンのようなことには、絶対陥らないんだろうな。だってラジャさんは僕と違って紳士だから、パートナーとの約束を蔑ろにしたりしないのだろうし、いつも相手をお姫様みたいに大切に扱って、うんと甘ーい言葉をかけてあげて、幸せな関係でいるんだ。
冬一郎は時計を見上げ、もう一度ミルクティーをすすった。
ーー僕は、ラジャさんを見習わないとならない。少しは気合いというか、あついところを見せて、アメリカ人であるベンに、アメリカ人が期待するようなレベルの愛情表現をしてあげなくては。でないと、きっとそのうち、愛想を尽かされてしまうだろう。
どうすればいい? とりあえずラジャさんみたいに、愛情たっぷりの名前を使って呼びかけてみるか。子猫ちゃん、は無理だ。ベンはどっちかというと猫より犬だ。いやそういう問題じゃないか。お姫様でもないから、王子様?いや、いまいち、意図が伝わらない気がする。直球で、ダーリン、がいいか。ラジャさんは、お砂糖さんだのハニーだの言ってたなあ。もう時間がないぞ。ぐずぐずしてたら、ミカさんが帰ってきてしまう。言え、冬一郎。今すぐ言わないとダメだ。言え、言うんだ!
「あーー愛してるよ、ハニー」
突然の言葉に、ベンはぶっと口の中のものを吹き出して、むせた。