コンコン、とひとしきり咳き込んでから、彼は冬一郎を振り向いた。
「はは…君がそんなこと言うなんて、珍しいなあ。今日倒れた時に、頭を打ったんじゃあないのかい?」
皮肉を言いながらも、口元は嬉しそうに大きくニヤついている。
甘い言葉の効果は、絶大だったようだ。勇気を出した甲斐があったわけだが、ほんの一言であっという間に機嫌を直したベンをみて、冬一郎は何やら、愛しいような、申し訳ないような気さえした。
ーーそんなに、喜ぶなよ。
「なあ、もっと言ってくれよ、冬一郎ちゃん」
すっかり笑顔のベンは、ふふ、と鼻を鳴らして、甘えるように優しくすり寄ってきた。
「俺さ、今日は君のこと、ものすごい心配したんだよ。教えてくれよ、本当は何があったんだい?」
「本当も何も…。あの場で話した通りさ。ごめんな、ベン。すぐ帰るって約束したのに」
「うん…でも、もういいのさ、君が無事なら。俺も愛してるよ、ハニー、ベイビー、俺の大切な人」
ベンはサンドイッチを持ったまま、腕を冬一郎の首に回してぎゅうと抱いた。うわああ…、まいったな、3倍で呼び返される可能性まで、考えてなかったや。
自分でまいた種ながら冬一郎は背筋がぞくっとする程恥ずかしくてたまらなくなり、逃げ出したいのを必死に我慢していると、ベンは、
「でも、もう二度と、あんな奴の家に行くなよ。あの、腐ったタバスコ野郎ーー」
と、急にラジャへの怒りを思い出したらしく愛撫の手を止め、代わりに、サンドイッチをかじって忌々しげに噛み締めた。
「ーー君に、変なもの食わせて、車に押し込んで連れ回して、おまけに最後に俺のことを、まるで父親失格みたいに言いやがって!絶対に許せないよ」
「あー…ベン。君は、勘違いしてるよ」
ラジャさんはとてもいい人だよ、と冬一郎は言ったが、ベンは遮るように首を振り、サンドの残りを口に放り込んで、飲みものを探して水筒を手に取った。
「ーー冬一郎ちゃん。君はさ、警戒心ってものがないのかい? ラジャが信用できるとなぜ言い切れる? 俺はいつも君が心配でならないよ…そのうち君は、きっと誰かに殺されてしまう、そんな気さえして、怖いんだ」
「なにを大袈裟な…」冬一郎は呆れた。
「僕が一体、誰に殺されるっていうんだ。今日僕が倒れたのは、単なる疲労だってば。それを君ときたら、まるで殺人事件みたいに騒いで、ミカさんまで巻き込んで刑事ごっこしてさ」
「君がそんなことを言うのは、君が平和な日本人だからさ」
ベンは水筒の蓋を調べるようにひっくり返した。