毎年、クリスマスが近づくと、冬一郎はぼんやり思い出すことがある。
ベンと付き合いだしてまだ間もない頃、クリスマスイブにしたデートだ。
ベンは、約束の時間に必ず遅れてくるやつで、2、30分待ちはざらであった。理由を聞けば、反対方向の急行に乗っちゃった、とか、駅構内で迷った、などと、悪びれずににっこり笑って答える。日本に来たばかりの彼には東京の電車を乗りこなすのも大変だったのであろうが、時間に厳しい日本人と比べ、アメリカ人というのは本当にルーズなんだなあ、と冬一郎はいつも思っていた。
その日も、冬一郎は新宿のサザンテラス近くで、長いこと1人、佇んでいた。待たされる事にもだんだん慣れてきていた彼は、冷たいベンチに腰掛けて、用意してきたペーパーバックの本を取り出した。夜の空気は刺すように凍て付き、ページをめくる指もかじかむくらい、寒い。それでも、冬一郎の気分は悪くなかった。彼は時々、文字から目をあげて、美しいイルミネーションの方を眺めた。キラキラ光る電飾の前で、カップルやファミリーが写真を撮って、はしゃいでいる。
冬一郎はクリスマスが好きだ。
街が赤と緑と金色に華やいで、ツリーや、サンタの絵やおもちゃなど可愛らしいものがショーウィンドーに並び、人々がみんな幸せそうに見える。
ーーそれに僕も、今年は、驚いたことに、独りじゃない。少なくとも今、誰かを待ってるし、そいつは多分、きっと来る。
それだけで、冬一郎は十分に嬉しかった。周りに流れる幸福の一部に参加できた感じ、というか、世界とちょっとだけ仲直りしたような、あったかい感覚に胸が包まれていた。
ベンが来た時、約束の時間からはゆうに40分が経過していたが、冬一郎は怒るでもなく、立ち上がって出迎えた。
「やあ。また電車を乗り間違えたのか?」
「新宿駅はガイジンにとっちゃ迷宮だよ」ベンは弁解がましく訴えた。
「階段と案内板がありすぎて、かえって訳が分からないよ。ーー本、読んでたのかい?こんな寒いところで」
君のせいだろ、と思いながらも、冬一郎はなおウキウキと機嫌が良かった。
「ああ、凍えそうさ。でも別に平気だよ。少なくとも、今夜はクリスマスにデートできる相手がいるんだから、君に感謝しないと」
ベンはきょとんとした。彼は、少し首をひねって考えた後、
「ああ!そうか。日本では、クリスマスは恋人と過ごす日なんだよね!」と言った。
ーー日本では?
今度は冬一郎がきょとんとする番だった。ベンはアメリカ人である。アメリカはクリスマスの本場だ。僕ら日本人がこうして西欧風に街を飾り付けて、恋人とロマンチックに寄り添いあうのは、アメリカやヨーロッパの文化にあこがれているからーーではないか。日本では、ってどういうことだ。
「アメリカでは違うのか?恋人とデートして、プレゼントあげたり、豪華なレストラン行ったりする日、だろ?」
冬一郎が戸惑って聞くと、ベンは快活に笑って、「全然違うよ!」と否定した。
「クリスマスにレストランなんか誰も行かないし、開いてもないよ!まあ、中華料理屋ならやってるかもしれないけどね。アメリカのクリスマスは、恋人たちの日じゃない。家族の日さ。みなで集まって家で食事するんだ」
「ーー日本だって、子供がいる家庭では、フライドチキンやケーキを買って帰って、家で食べたりするぞ?」
「それも違うよ。フライドチキンなんかクリスマスに食べないし、クリスマスケーキなんてものは、アメリカにはないね」
「なーーなんだって?!」
「クリスマスはいわば、日本の正月みたいなものなんだよ」
ショックを受ける冬一郎に、ベンは極めつけの情報を付け加えた。
「親戚のおじさんおばさん、従兄弟たちもみんな集まってさ、お酒ばんばんのんで、歌うたって、大騒ぎだよ。うん、やっぱり、日本でいうお盆やお正月の感覚だね!」
クリスマスが、正月…?
ついさっきまで、冬一郎の中には、眩しい光に彩られた幸せで甘い恋人たちのクリスマスのイメージが、確かにあった。今それが、ガラガラと崩れて、代わりに、酔っぱらったオジさんたちが一升瓶をあけて裸踊りし、その横でうるさいイトコどもがギャーギャー走り回っている、彼の『正月』のイメージが押し寄せたのである。
しかも、それが、本場のクリスマスだというのだ!
何を隠そう、冬一郎は正月が大嫌いなのである。彼の頭は混乱し、いつも偉そうな太った彼の伯父が、サンタのコスプレをして踊っているような、謎の想像がぐるぐる駆け巡った。
思わずめまいがしてベンチに座り込むと、ベンは驚いて、
「あれ?どうしたんだい?君、大丈夫かい?」と心配した。
冬一郎は呻いた。だめだ。どんなに頑張っても、もとの甘いクリスマスに、戻れる気が、しない…。