こぼして消えたタレの代わりに醤油とめんつゆを少々垂らしてやり、冬一郎は納豆のパックをミカエルに戻した。うなずいて受け取るやさっそく食べようとする彼を、冬一郎は制して、
「あ、待ってください。納豆は、食べる前によくかき混ぜるんですよ」と説明した。
「ロンできゆ!」
ロンがまた嬉しそうに言った。ミカエルは微笑んで、
「そうか。じゃあ、どうやればいいか、俺に教えてくれるか?」と言った。
「うん!みて!」
ロンは張り切ってフォークを握った。
「くるくる〜ってやうの!」
「ふむ、そうか」
ミカエルは箸を握り、パックを持って納豆をかき混ぜはじめたが、途中で、力加減を誤ったと見える。バキッと派手な音がして、彼は納豆パックを落としかけた。発泡スチロールの底を箸が貫通し、尖った箸先で手のひらを刺して痛めたのだ。慌てて納豆を拾おうとすると、指やあちこちにつき、ねばっとした未知なるセンセーションがミカエルを襲った。気持ち悪さに思わず振り払えば、蜘蛛の巣のような糸がふわふわと宙に舞い、腕に顔に、まつわりついてはなれない。
「!!!」
「落ち着いて、足掻いちゃあダメですよ、ミカさん!」冬一郎は叫んだが、ミカエルは焦って手をバタバタして余計に糸を空に増大させた。
「動いちゃダメですってば!コツがあるんですよ!今きれいにしてあげますから、じっとして!」
冬一郎に抑えられ、ミカエルは渋々、大人しくなった。今や、美しい金髪にまで納豆がついている。ティッシュで丁寧につまみとってあげながら、冬一郎はミカエルが、どうにもこうにも、愛しく思えて仕方なかった。単に納豆が初めてなだけの、大の大人の外国人を、まるで子供扱いするなんて、とても、とても失礼なことだーー可愛いだなんて絶対思ってはいけないのだ、と自分を叱りつけるものの、胸の奥がキュンキュン高鳴って止められない。
冬一郎が手を洗って戻ってくると、しかし、ミカエルはもうテーブルについてはおらず、何やら出かける用意をしていた。
「え?どこ行くんですか、ミカさん?!」
「ベンのところだ」ミカエルは答えた。
「2人でパンケーキでも焼いてるから、お前はここでロンとゆっくり納豆食ってていいぜ。あとで、できたら換気だけしといてくれるか」
「あっ」冬一郎は非常に申し訳なく思って叫んだ。「めっちゃ嫌だったんですね、納豆。ごめんなさい!」
「いや、いいんだぜ。俺のことは構うなよ。好きなだけ、ロンに納豆食べさせてやってくれ」
ミカエルは優しくそう言うと、靴を履いて出て行ってしまった。
「ミチャチャ、どこ?」
ダイニングに戻るとロンが寂しそうに聞いた。
「ダディのところだよ…ダディにパンケーキ焼いてくれるんだってさ」
「ロンも、ダディに、ごはんあげゆ」
「良い子だね、ロンは」
冬一郎は笑顔を作った。「この納豆食べたら、僕らも早くもどろうね。きっとミカさんのパンケーキも残ってるだろうから、一緒に食べられるね」
うん、とロンは嬉しそうにうなずいて、あーんと大きく口を開けた。箸で納豆を運んでやりながら、冬一郎は、
(ミカさんが嫌だったのは、納豆だけかなあ、それとも、僕に顔や頭を触られたのが、気持ち悪かったんだろうか)、とやたら不安に思った。
納豆の話シリーズ↓