パンケーキの話の続きです。
翌日、僕は頑張って仕事を切り上げ、久しぶりに早めに保育園にお迎えに行きました。
ロンは泣いていました。
「最近、この時間にさみしくなるみたいなんです」と、保育士さんが言いました。「でも、今日はパパ、早く帰ってきてくれたわね。ロンちゃん、よかったわね」
僕は、ぐずるロンをなぐさめなぐさめ、家に戻りました。本当は食材を手に入れに行きたかったけれど、ロンがこの状態では、スーパーにも寄れません。あーあ、冷蔵庫空だなあ。これじゃあ今夜のメニューは、またパンケーキに決まりだな、と僕は諦め半分な気持ちで思いました。ロンにはもっと色々なものを食べさせたいのに。ーーでも、今、ロンが僕にしてほしいのは、無理して買い物に行くことじゃあなくて、おうちで一緒に過ごすこと、だよな。
家に戻るとすぐ、僕はオーブンのスイッチを押して予熱を始めました。ミカさんに習った、オーブンパンケーキの準備です。そして部屋にもどり、ロンに絵本をたくさん読んであげました。ロンは少し満足したのか、おとなしくひとり遊びを始めてくれました。僕は台所に行き、パンケーキ生地を作るべく小麦粉の袋を開けました。ミカさんのオーブンパンケーキは、仕込みが簡単な上に、準備の間も焼いている間もロンちゃんに構ってあげられるから、本当に便利です。
ーーミカさんには、助けてもらってばかりだ。僕、彼がいないと、子育てできないや。
ベンがひょっこり現れたのはそんな時でした。
「あれ、おかえり。早いんだな」僕は言いました。「それとも、また家に仕事持ち込んで、徹夜することにしたのかい」
「何作ってるんだい」ベンが聞きました。「まさか、またパンケーキかい?」
「そのまさかさ」僕は機嫌よく答えました。「昨日、ミカさんに新しいパンケーキの作り方を見せてもらったんだ。なんとオーブンにぶち込んで一気に焼いちゃうのさ。焼いてる間も手があくから、ロンの世話ができるんだよ。最高だろ」
「…」
僕は彼に背を向けて作業していたので、気づきませんでしたが、たぶんこの時、ベンはすでに怒った顔をしていたのだと思います。
「俺、そんなパンケーキ、食べたくない」
彼はぶっきらぼうに言いました。
「?」
「俺は、そんなへんちくりんなパンケーキなんか、食べたくないって言ったんだよ」
ベンは苛立たしそうに繰り返しました。僕は非常にムッとしました。僕は卵を割るのをやめて向き直ると、仁王立ちになり、
「おい、ベン。帰ってくるなり、僕の作る料理に文句つけるなよ。『妙なパンケーキ』とは何だよ。そりゃ、普通、パンケーキは朝ごはんとかおやつって感じだから、夕食のメニューとしちゃ変かもしれないし、最近ちょっと連続で作りすぎなのも分かってるけど、ロンが手づかみで簡単に食べてくれる神メニューなんだよ。栄養のことも考えて、野菜ペーストいれたり、オートミールや、そば粉をまぜたり、ちゃんとバリエーション変えて飽きないようにしてるんだ。そういう僕の苦労を、君も少しは理解してくれたっていいだろ」
「ふん、そんな事知るもんか。君の勝手にしたらいいのさ」
「なんだって?」
ベンの冷たい応答に、僕は深くショックを受け、頭に血が昇りました。
「なんて奴だ、ベン、君はもうちょっと協力的だと思ってたのに。それでも君、ロンの父親だって胸張って言えるのか? これじゃあ、ミカさんの方が、よっぽどーー」
「ああ、そうだよな。ミカちゃんのほうが、よっぽど協力的で、優しいよな。だから、君は、スウェーデン風パンケーキでもなんでも焼いて、またミカちゃんに、『あーん♡』して食べさせてもらったらいいのさ!」
あっ、と僕は息を飲みました。
ベンのやつーー昨日ーー見てたのか!
恥ずかしさに絶句し、僕は口をパクパクさせました。ベンは、ふん、と完全にすねた音で鼻を鳴らしながらこちらをきつくねめつけました。
「言い訳でもあるのかい」
「違う、あれは、ロンが。ロンが、いきなり言い出したんだよ。それで、成り行きでーー僕とミカさんは、ただ、気まずかっただけで!」
「そうかい。君はすごく喜んでるように見えたけどね。やたら赤くなって、とろんと可愛い顔しちゃってさ。この、浮気者」
「よ、喜んでなんか、ない!浮気なんかじゃない」
「ベン、君ってやつは、どうしてそんなに、嫉妬深いんだ!」
僕は、内心あまりにぎくりとしたもので、かえって攻撃的になりました。情けないけれど、逆ギレ、というやつです。
「いつもいつも、こういう些細なことでヤキモチ焼いて、大騒ぎして、まわりのみんなに迷惑かけてさ! 大体、僕みたいなのがそんな簡単に浮気できるわけないって、少し考えればわかるだろ? ミカさんだっていやだったに決まっているんだよ、ゲイ相手に『あーん』なんてさ、ストレートの人にとっちゃ、身の毛がよだつってもんだよ! そんなことさせられた上に、君から嫉妬までされるなんて、ミカさんにとっちゃ、大迷惑もいいところさ!」
「俺の知ったことか、ミカちゃんのセクシュアリティなんか」
ベンの怒りもエスカレートしてきました。首の辺りまで真っ赤です。
「関係ないんだ、相手が同じゲイだろうが、ストレートだろうが、女だろうが、他の何かやアセクシャルだろうが!俺にとって問題は、俺のパートナーの君が、俺のいないところで、俺以外の誰かと、すぐいちゃいちゃしだすってことなんだよ!」
「僕は、誰とも、いちゃいちゃなんかしてない。もう十分だ、キッチンからでてってくれよ。ロンの夕飯作るんで忙しいんだよ!君は食わなくて結構だから、どっか外いって一人で食べろ!」
「ああ、そうするさ、誰が欲しいもんか、君のクソまずいパンケーキなんか。何日も我慢して食べてたけど、もう限界さ」
ベンは足音も荒く台所を出ていきました。
僕は、料理する気を、全くなくしました。