パンケーキの話の続きです。
ミカさんが家に帰ってきたとき、僕は、テーブルに肘ついて、向こうのソファに寝かせたロンの可愛い寝顔を、ぼんやり眺めていました。部屋には焦げたにおいが漂っていました。ミカさんは少し鼻にシワを寄せて、「どうした?」と聞きました。
「パンカーカ作ろうとして、オーブンを真っ黒にしたんです」僕は答えました。
「何だか疲れて、やり直す気力が出なくて。ロンに別の冷蔵庫の残り物を食べさせて寝かすだけで、精一杯でした。だから、すみません、ミカさん。夕飯、何も用意できてないです」
「別にいいさ。謝る必要ないだろう。料理が失敗するなんて、よくある事さ」
優しいミカさんは、そう言って慰めてくれてから、リビングを見渡し、
「ベンは? 今日は早く帰ったはずだぜ」と聞きました。
「ええと…外の、カフェかどこかへ、食べに行ったんだと思います」
「一人でか?」
「…はい」
「お前とロンはなぜ一緒にいかなかったんだ?」
「……」
ミカさんの視線がじっと僕の方に注がれるのを感じました。僕は下を向きました。
「ベンと喧嘩したか?」
「してないですよ、喧嘩なんか」
「お前、隠し事には向いてない性格だぜ、冬一郎」
ミカさんはどかりと僕の真ん前の椅子に腰掛けました。僕は務めて、何も考えるまいとしました。彼を真正面から見たりしたら、また顔が赤くなりそうで、とても怖かったのです。
「何があったんだ。教えろよ」
「……」
まさかミカさん自身が絡んでるなんて、言えるはずもなく、僕は困りました。
「えっと…その…パンケーキは食べたくないって、ベンが言って。それでその、僕が、そんなに嫌なら、一人で外で別のもの食えって言ったから、その…」
ふうん、とミカさんは、あまり納得しない感じにうなりました。僕は焦るあまり、話をごまかそうとしました。
「まったく、ベンのやつ。ちょっとパンケーキメニューが続いたのは確かだけど、文句言うくらいなら、家族のために何か別のもの作ってくれたっていいのに。わがままなんだから、頭にきますよ」
そんなふうに文句言いながら、僕はますます自分が嫌いになって、落ち込んだ気持ちになりました。本当は僕が悪いのに、ぜんぶベンのせいにしようとしてる。僕は、最低なやつだ。
ミカさんはやはり納得しないみたいでした。
「それはおかしいな。パンケーキはベンの大好物のはずなんだが。俺とベンは、学生の頃、しばらくパンケーキだけで生きてた時期があるぜ」
「それは、きっと、ミカさんのパンケーキがおいしいからですよ。僕のパンケーキは、妙ちくりんでクソ不味いって、ベン、言ってましたから。いつも、我慢して食べてたらしいです」
「ーーベンが、そう言ったのか?」
ミカさんは驚いたように目を見開きました。僕は、その瞳のブルーについ意識を吸い込まれながら、小さく頷きました。一瞬、ミカさんの顔に、何か喜びのような強い光が走ったような気がしましたーーが、はっとしてもう一度見れば、彼はいつもの、やや無表情気味なポーカーフェースでした。
「まあ、パンケーキってのは、シンプルな分、好みが分かれやすいよな」
ミカさんは肩をすくめると立ち上がりました。
「たかがパンケーキ、されどパンケーキさ。日本人も、みそ汁の濃度やら、具を何にするかやらで、こだわりがあったりするんだろ? 俺たちも、パンケーキの粉の配合の少しの差や焼き方に、それぞれ譲れないもんがあるのさ」
「ミカさん、どこ行くんです?」
「ベンを探してくる。お前も腹減ってるなら、何か食いもの買ってきてやるぜ、冬一郎」
ええと…ありがとうございます、と、僕は口の中でもごもご呟きました。