それであの、先日、ベンの誕生日だった、んですけど。
コロナの第5波騒ぎとか、仕事とかに、かまけて、その……
なんというか。
実は僕、きれいさっぱり、忘れてたんです。
その日の朝はいつものドタバタの中で家を出ました。
夕方、ベンから電話が入って、
「あのさ、俺、ロンちゃんの(保育園の)お迎えしたから」と、珍しいことを言うので、
「え?ありがとう!助かったよ、僕、今日また、めちゃくちゃ忙しくてさ」
と礼を言うと、ベンは何やら困ったような不安げな声で、
「それ、早く帰れないってことかい?」と聞くので、
「うーん、分かんないな。もちろん、出来るだけ頑張るよ。ロン、僕がいなくて泣いてるのかい?」
「うーん、さあ…」
「さあ、って?」
「わからないよ」ベンは歯切れ悪くモゴモゴ言いました。
「だってロンは今、ミカちゃんのマンションだからさ…。ミカちゃんに世話を頼んだんだ」
あれ、少しおかしいな。そう思ったこの時点で、僕は気づくべきだったと思います。それなのに僕は、
「なんだよ。君がロンと遊んでくれてるんじゃないのか。君さあ、何でもかんでもミカさんに頼りすぎだよ、やめろよな」などと小言を言って電話を切ってしまいました。
しかも僕はそのあと、急にリラックスした気分になって伸びをし、電話をもらう前よりもゆっくりな調子で仕事を片付け始めました。ミカさんが面倒を見てくれているならロンは大丈夫、安心だーーそんな風に思ったのです。『何でもかんでもミカさんに頼るな』とベンを叱った直後、自分はミカさんに思い切り甘えようとした訳です。僕は、ほとほと、ひどい人間です。
それでもってその後、職場を出た僕は、まっすぐ家にも帰らず、寄り道してコンビニに行きました。一人になれる時間が普段は全くないので、自由に買い物できる貴重なチャンスだと思ったのです。するとばったり、入り口の前でナタリアさんに会いました。
「冬一郎?」
彼女は大きな目をまん丸にして聞きました。
「あんた、こんなとこで何やってるの?ベンは?」
「こんばんは。奇遇ですね」と僕。「ベンなら家ですよ。一人で趣味のビデオゲームでもやってんじゃないですかね。あいつ、ミカさんにロンの世話を押し付けたみたいだからーーおかげで僕は珍しく自由っていうか、フリーなんですけど」
そう答えて僕が笑うと、ナタリアさんはますます不思議そうな顔をして、
「なによ、フリーって、あんた。暇ってこと?そんなわけないわよねーー今日、ベンの誕生日なのに。さっき、プレゼント持っていくわねって、私、メッセージ送ったのよ。そしたら、『ありがと!でも今夜は冬一郎ちゃんと2人きりがいいんだ♡』って、ベンから超ラブラブな感じの返信が返ってきたばかりよ」
と、携帯の画面を見せてくれました。
ベンのテキストには本当にハートマークがついてました。
ーーやばい。
僕は、心臓を氷の手で掴まれたみたいになって、その場に凍りつきました。表情から察したのでしょう、ナタリアさんも顔色を変え、「まさか!」と怒って叫びました。
「冬一郎!あんた!ベンの誕生日忘れてたのね!?ひっどーい!冬一郎、ひどいわ!」
「ご、ごめんなさい」
僕は反射的に謝りながら、頭を抱えました。
「しまった…なぜ忘れてたんだろう?今日はベンの誕生日じゃないか。どうしよう、プレゼントなんて用意してないし、おまけにさっき、電話でめっちゃ冷たいこと、言ってしまったし…」
「サイテー。日本人の男ってこれだから。最低よ」ナタリアさんは怒りおさまらぬ様子で僕を責めました。
「手に入れて家族になったら最後、あとはロマンチックな気持ちのかけらも持とうとしないのよね!ベンがいつも文句こぼしてたのは本当だったわけね。冬一郎のバカ、ベンが可哀想よ!あんたの事、待ってるのよ。今すぐ飛んで帰りなさいよ!」
「でも、その、家には何もないんです」
女性から思い切りキツく詰られたので、僕は少々パニックでした。
「ロ、ロマンチックなことなんて、今からじゃあ、無理です。もう8時過ぎてて、レストランも開いてない(緊急事態宣言中)、自分で凝った料理を作る時間もない、プレゼントやケーキを買いに行く時間さえない。打つ手なしだ」
「もー!しょうがないわね、来なさいよ、あたしが助けてあげるわ」
彼女は僕の手をぐいと強く引っ張って、目の前のコンビニに入っていきました。
続きます(多分)