バナナズ・フォスター その3 (マリトッツィ、2)

2021/09/04

チーズフォンデュクラブストーリー

バナナズ・フォスターの話の続きです。

これまでの話。僕はコンビニでベンの誕生日ケーキ代りにマリトッツオを買おうとしています。→前話「バナナズ・フォスターその2」

「あ、そうそう、このマリトッツオって、実は、イタリア語で『夫』という意味なんですよ。昔、男性から婚約者の女性への贈り物とされてたんだそうです。中に指輪を隠したりして」
「へえ!なにそれ、すごくロマンチックじゃない!」
僕のトリビア的な話に、ナタリアさんはいたく喜び、手を叩きました。
「決まり!それで決まりよ、冬一郎!これ買って帰って、一緒に食べながら今の話をベンにしなさいよ。あんたたち両方とも『夫』なんだから、マリトッツイ2つでピッタリね(ドゥエ・マリトッツイ)!」
「はは…そうですね、ありがとうございます」
僕は、まるで自分のことのように親身になってくれるナタリアさんに、お礼をしたくなりました。それで、冷蔵スイーツの棚から、マリトッツオをもう一つ取り、
「ナタリアさんも食べますよね?」と笑いかけました。
「え?あたしに買ってくれるの?」
ナタリアさんは一瞬顔を輝かせてから、すぐ思い直したように首を振り、
「いや、やっぱりいいわよ、要らないわ。愛の贈り物だったなんて話を聞いた後で、あんたに買ってなんかもらえないわよ」
「本当か分からない伝説では、ですよ。それに、たかがコンビニスイーツじゃないですか」
「それでも遠慮しとくわ。いいのよ、私ね、日本のケーキ類はあまり好きじゃないの。全然甘くないんだものーーまあ、これはクリーム多めで、少しは期待できそうだけど」
「試してみたらどうですか、美味しいですよ。僕、マリトッツオは、日本でブームになってきた頃からちょくちょく買ってるんです。実は、ミカさんが好きなんですよ、これ」
言いながら、僕はさらにもう一つマリトッツオをとってカゴに入れました。
「コーヒータイム用に買って帰ってあげると、ミカさん、すごく喜んでくれるんです。スウェーデンにも、クリームたっぷりのセムラという菓子パンがあるんですが、近い味がするんだそうですよ」
「あのね、冬一郎」
「セムラやマリトッツオは、キリスト教の、イースター前の断食に入る前や断食期間中に食べる習慣があって、ひょっとするとどっか根底で繋がってるのかもしれないですね。ともあれ、マリさんなら全然違うって言うかもしれないけど、ミカさんは細かいこと言わないですから。彼、懐が深いっていうか、優しいんですよ。もちろん本当は僕だって、ちゃんとミカさんのためにセムラを手作りして、心から満足させてあげたいって思いますけど、なかなかそんな時間がなくて。パンは結構手間かかりますからね」
「冬一郎。冬一郎ってば」
「それにセムラは、2種類のクリームを入れるのがスタンダードなんです。マリトッツオと違って、丸パンの上の部分を切り取って蓋みたいにして、底にアーモンドクリーム、そして生クリームをいっぱい絞るんです。ミカさんは生クリームが大好きだから、たっぷりーー」
「ちょっと、冬一郎!」
腕を掴まれて、僕はハッとして顔を上げました。どうやら僕は、1人で夢中になって喋り続けてしまっていたようです。ナタリアさんは、訝しげに眉根を寄せて、僕の顔を覗き込みました。
「冬一郎、あんた、さっきからミカエル君のことばっかり、嬉しそうに話してるけど…。今日はベンの誕生日なのよ、分かってる?これはベンの誕生日ケーキ代わりなのよ」
「もちろん、分かってますよ…」
「じゃあ、マリトッツイは2つでいいでしょ?ベンはあんたと2人で過ごしたいって言ってるのよ」
「え、ええ…でも…」
僕はなぜかひどく狼狽えながら、モゴモゴ言い訳しました。
「それは分かってますけど、さっき言ったように、マリトッツオは、ミカさんの好物だから、彼の分を買わないのは、なんか、変なんですよ。だって僕ら、今、一緒に住んでるも同然でーー今もロンの面倒見ててくれてて、きっと後で家に帰ってくるのに」
「…」
ナタリアさんはしばらく僕の顔を睨むようにじっと見つめたあと、はーっと深くため息をつきました。
「やめ。やめ。マリトッツオは忘れなさい、今夜はふさわしくないわ」
「え…ええっ?」
僕はびっくりしました。
「どうしてダメなんです?!」
「バカ。あんたのロマンチックのレベルが足りないからに決まってるでしょ」
ナタリアさんは苛立たしそうに一喝しました。そして、ヨガパンツのポケットからスマホを取り出し、誰かに電話をかけました。しばらく話した後、ナタリアさんは僕にスマホを差し出し、かわるように促しました。
スピーカーを耳に当てると、柔らかく響くバリトンの声が、心から愉快そうに笑っていました。
「冬一郎くん。いけませんね、ベン君の誕生日を忘れてしまっては」
「ラジャさん」
僕は恥ずかしくて火をふきそうでした。友人みんなに、僕の失態が知られていく…。少し恨めしく思ってナタリアさんを見ると、彼女は、反省なさい、とばかりに睨み返してきました。
「まあまあ、お聞きなさい、冬一郎くん」
ラジャさんが電話の向こうから言いました。
「私がアドバイスしましょう。私は君たちの味方ですから、君らカップルには、ぜひ幸せになっていただきたい。まずは、赤ワインを捨てて、ブランデーかウイスキーを見つけなさい」
「えっ。でも、ベンは、あまりハードリカーは、嗜まないんですがーー」
「いいからラジャさんの言うとおりになさいよ」ナタリアさんが口を挟みました。「彼はあんたの100倍、『素敵な夫』のなり方をご存じよ!」
はっはっ、とラジャさんがまた笑いました。
「そうですね、あとは、バナナを2本、買いなさい。それで完璧です。ロマンチックな夜になりますよ」
「バ、バナナですか?」
コンビニでバナナ。確かに売ってるけど、僕の感覚では、世界で一番、ロマンチックから遠ざかる買い物のように思える。
「そう、バナナです」
ラジャさんはいつものように頼もしい調子で繰り返しました。
「さあ、さあ、急いで。何よりも、早く帰って、2人一緒に過ごすことが大事ですよ。今すぐバナナを買って家にお帰りなさい、冬一郎くん!」
ナタリアさんに背中を押され、僕はバナナをつかむや、走ってレジに向かいました。

続きます




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