ベンの最愛の女(ひと)の話 1

2021/10/15

チーズフォンデュクラブストーリー

先日、このブログ、特にベンのファンだと言ってくださる方から応援メールもらいました。
ありがとうございます。良かったな、ベン。

「『チーズフォンデュクラブ』の皆さんはあったかいですね。ベンさんがとても素敵です!きっとベンさんは、冬一郎さんを世界でいちばん愛しているんですよね」

世界で、一番…。

んんん。

えーと、すみません。
それは違うんです。

確かに僕はベンから愛されていると思いますし、それは毎日、ひしひしと感じもしますけれども。

しかし、彼にとって世界一の最愛の人というのは、僕ではありません。

この事は、僕ははっきり分かっています。ベンには心から愛する女性がいて、彼女はアメリカに住んでいるのです。

例えば彼女から電話が来ると、態度ですぐに分かります。
それは、いつも決まって夜遅くです。時差のためです。僕らはリビングにいるとします。着信が来るや否や、ベンのやつは携帯をさっと取り上げ、まるで隠すようにして、そそくさと席を立とうとします。

「ごめん、俺、トイレ…」

バレバレというか、怪しいことこの上ありません。このような彼の行動に、僕は初めこそ頭に来て食ってかかったものですが、今では慣れっこになりました。僕は何も気付かぬふりを決め込みますーーが、もちろん、部屋を出ていく彼の後を、忍び足でこっそり追いかけます。確かめねばなりませんからね。

ベンは暗い物陰に隠れ、電話を耳に押し当てています。小さな声がスピーカーから漏れているのが聞こえます。

「ハーイ、ベイビー、元気にしていたかしら?」

やはり、彼女だ。

僕は確信します。もう、黙ってはいられません。パッと飛び出ていって、ベンに後ろから不意打ちを食らわせて携帯を奪うや、マイクに向かって思いっきり叫びます。

「リサさーん♡!!!お元気でしたか??ハイ!僕です、冬一郎です!」


「冬一郎ちゃん、ズルいよ!」

ベンのやつが携帯を取り返そうと必死にかかってきますが、実言うと、僕の方が格闘技は断然強いので、余裕です。僕には剣道と柔道の心得があり、たとえ体格差があっても、数学とチェスとビデオゲームばかりして過ごしてきたような相手には、簡単には負けません。僕はベンをひらりとかわして、リサさんとおしゃべりします。
「COVID-19は大丈夫ですか?僕もベンも、リサさんのことを本当に心配しているんです、くれぐれも気をつけてくださいね!」
「ええ、とても気をつけているわ。私にもしものことがあれば、あなた達を悲しませると分かっているもの。だから、お買い物も何もかも、慎重にして過ごしているわ」
「冬一郎ちゃん、俺に代わってくれよ!」
ベンが地団駄踏んで懇願しますが、僕は聞いてやりません。
「お食事はどうなさっているんです、リサさん?おいしいものは食べていますか?」
「そうしたいけれど、安全のためにレストランには全然行っていないの。それがまあ、一番辛いわね。あなた達がそばにいてくれたらいいのにってよく思うわ。あなたの料理は素晴らしいものね、冬一郎」
「ああ、リサさん!僕、できることなら今すぐロンを連れてリサさんに会いに飛んでいきたいです!」
「私たちの可愛いベビーはどうしている?」
「今ぐっすり寝ていまーーせん、ね。どうやら、起きちゃったみたいです」

寝室からロンの泣き声が聞こえました。仕方ないので、僕は、携帯をベンに返してやりました。ベンはご褒美をもらった犬みたいに嬉しそうに飛びついて、
「ああ、姉さん!!♡」と叫びました。

「うん♡!俺は元気だよ。愛してるよ、今すぐ会いたいよ!ーーううん、それがダメなんだ、まだとてもアメリカには帰れそうにない。一度日本を出てしまうと、再び日本に戻るのがものすごく大変なんだ。俺はガイジンだしさ、たとえパートナーが日本人だと言い張ったって、入れちゃもらえないんだよ。俺の周りにも、たまたま海外に出ていたばかりに帰れなくなった友達がたくさんいるんだ。先が読めない状況で何かヘマをしてさ、もし冬一郎ちゃんやロンと何ヶ月も離れ離れになったらと思うと、怖くて動けやしない。何よりさ、万が一、君に会いに行く途中、空港やどこかでウイルスを拾って、君のもとに運んでしまったとしたら?そんなことがあっては絶対ならないよ、姉さん!俺たちは君を死ぬほど愛してるんだからさ、君に何かあったらーー」
リチャーー♡!
僕が寝室から連れてきたロンが、ベンの愛の言葉を遮り、至福の時間を奪いました。ロンはベンの周りをぴょんぴょん跳ねて携帯をせがみます。
「リチャ!リチャ♡」
ベンは渋々、電話のスピーカーをオンにしてロンに渡します。母親であるリサさんの声を、ロンに聞かせないわけにいかないからです。
「リチャ♡」
「ハーイ、ベイビー!パパ達と一緒にいい子にしている?」
「してゆー♡」

彼女から電話がくると、僕らはいつもこんな感じです。
3人で携帯を取り合って、最終的には、頰をぎゅーぎゅーに寄せ合ってスピーカーに耳を傾ける。リサさんと話している間は本当に楽しくて、僕らは全員ニコニコ、ハッピーな気持ちでいっぱいになります。リサさんは僕らにとって世界一の最高の女性(ひと)なのですーーベンにとってはかけがえのない頼れる姉、ロンにとっては優しいママ、僕にとっては一生の恩人です。僕らは全員、リサさんを深く愛しています。
けれども、幸せな時間はあっという間に過ぎて、
「そっちはもう夜遅いのよね。楽しかったわ、またかけるわね。おやすみなさい」と彼女が言い、おやすみなさい、リサさんは良い一日を、と、何度も何度も別れの挨拶を交わした末に通話が切れてしまうと、僕らは急に、ものすごく悲しくなります。
ベンは、いつまでも名残惜しそうにため息をついています。
ロンもまた、ママの声で喋らないかと期待しているのか、携帯を振ったり叩こうとしたりします。
そんな二人の様子を見るにつけ、僕は、なんとも言えない強い罪悪感に襲われるのです。

僕は、僕だけの勝手で、ベンとロンを日本に縛り付け、リサさんという素晴らしい存在から、無理やり遠ざけているのではないか、と。

僕は、僕の意気地のなさ故に、この大事な人たちを苦しめているのではないだろうか。僕が最初にそう言いさえすれば、僕らは、リサさんの近くにーーアメリカに住むことだってできたんだと思う。その方が、僕らはずっと幸せになれたんじゃあないのか。僕はベンに、最愛の姉のいる場所から、地球の半分も距離のあるこの国で、同性パートナーとして認められるような見込みもなく、ガイジンとして生きることを強要して、僕は、僕は一体、なぜーー

僕は胸が詰まって、息ができないように思います。

だから、僕は、リサさんから電話がくるのが、本当に心から待ち遠しいのに、同時に、なぜか少し怖くもあるのです。


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